#9 【ドルビーシネマ】ヴァイオレットを観た話【邦画アニメ初】
どうもハカムンです。
本日「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」をドルビーシネマで観ました。
ドルビーシネマとは米国企業「DOLBY」のドルビーラボラトリーズが提唱するプレミアムシネマのことです。
簡単にいうと、最高の機材・技術と最高の劇場で最高の映像を提供する映画館ですね。
日本では東京、横浜、埼玉、千葉、愛知、京都、大阪、福岡の8館のみです。
そのせいか劇場はとても混んでおりました。
そして今回の「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は邦画アニメで初のドルビーシネマなんだとか……。
これはある意味、歴史的瞬間なのでは。
ドルビーシネマで観た感想
・画面が大きい(がっつり長方形ではなく、少し正方形よりだった)
・青が蒼に、黒がより闇を感じるような色合い
・キャラクターの息遣い、衣擦れがすぐそこにあるような音の定位(位置)
・映像のノイズが減ったせいか、動きがわずかに滑らかに見える
……といった感じです。
特に色合いに関してはコントラストがより映えるようになっています。
ふだん私が足を運ぶ劇場は音響にこだわりがある場所が多いため、映像以外に関してはそこまで差はなかったかなというのが本音です。
とはいえ、なかなかドルビーシネマで観る機会もなさそうなので貴重な体験でした。
小言
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」は4回
「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はこれで5回
観れば観るほど新しいことに気づき、作品愛は深まっていくばかりです。
ドルビーシネマ限定と新来場者特典も無事もらえてよかったです。
おまけ画像
2,3ヶ月ほど前からキーボードもタイプライター風のを買ってしまいました。。
使い始めは違和感で打ちにくかったですが、青軸の打鍵感と音が好きでわりと重宝しています。
キーボード位置が高いので、個人的にパームレストは必須ですね。
#8 「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」(感想)
おはようございます。ハカムンです。
今朝、「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」を観てきました。
正直にいうと、私は「鬼滅の刃」をほぼ読んだことも観たこともありませんでした。
それでもここまで話題になれば情報は入ってくるというものです。
ここ3週間くらいの間、映画館に人が溢れているのを目にしました。
コロナ禍の中、ここまで多くの人を動かす作品がどのようなものなのか、興味を持たずにはいられなかったのです。
「鬼滅の刃」を知らなかった私の目線から、この劇場版の感想を語らせていただきます。※1
監督: 外崎春雄
原作: 鬼滅の刃
原作者: 吾峠呼世晴
音楽: 梶浦由記、 椎名豪
鑑賞前の最低限の知識:
主人公側は人間、敵は鬼
妹が鬼化している
鬼を退治するための組織がある
鬼を退治するための技がある(呼吸)
※1:原作、アニメシリーズを観ていないので的はずれな考察かもしれません。ご了承ください。
オープニング
お館様と呼ばれる人が殉職者の墓地を訪れる
↓
竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助は無限列車に飛び乗る
↓
三人は炎柱・煉獄杏寿郎と合流する
全体の感想
まず面白かったか、つまらなかったか、と問われたら……。
間違いなく面白かったです。
この作品、ヒドいことにそれまでのストーリーの説明がほとんどないのです。
なのに見れてしまう。それはなぜだろうか。
ずばり、それは豪快なアクションとアニメーションの全振りにあると思ったのです。
起きて戦え!(アクションシーン)
弱そうな敵を倒すカットからすでにド派手な技を決め、もっと強力な技で強敵を倒したと思ったら、さらに強敵が出てきて、と猛烈なアクションカットのお祭りでした。
基本的に映像の中で、
主人公サイドは右から左へ
鬼サイドは左から右へ
の構図が守られていたので少し複雑なアクションでも見やすかったです。
また技も一辺倒になるのではなく、味方も敵も様々な技を繰り出すので、演出もパターンが変わって飽きは感じないようになってると思いました。
特に猗窩座が登場したときに繰り出す技のカメラワークは、それまでの敵のパターンと変わったので新鮮味がありました。
列車外の戦闘では、夜の青暗さに煉獄さんの炎の闘気が対比されよく映えているように感じました。
鬼とは……。
この作品を通して、鬼とは「過去への執着」、「自己意識への執着」なのではないかと考察しました。理由は以下です。
私の解釈メモ
過去とは変わることのない不変の存在→永遠に限りなく近い存在
自己への肥大化する意識→自分本位、エゴのかたまり
理由1:「人は人を信じ託す」、「鬼は自身のみを信じる」
これは「柱」と「十二鬼月」とを対比することで見えてきます。
「柱」は人間なので月日が経てば衰え、次の世代へ交代する必要がでてきます。
それゆえ柱(人)は自分より未来を生きる他人のために奮闘することができます。
対して「十二鬼月」は鬼なので寿命がありません。なのでメンバーを入れ替えるには基本的に自力でその座を奪い取るしかありません。
他人に期待するのではなく、自分を強化することが存在意義になるのです。
理由2:『太陽から逃げているんだ』
これは猗窩座の台詞ですね。
「鬼滅の刃」の鬼が日光に弱いことを初めて知りました。
それはさておき……
太陽は基本夜明けにやってくるものです。
すなわち「明日」、「未来」の始まりだと考えることもできます。
個人的には、「太陽から逃げる」という行為は、過去という不変への執着を隠喩しているように思えました。
そして猗窩座は煉獄に対して何度も「死ぬな」と警告しています。
永遠を生きる鬼にとって、「死」は唯一の変化であり最大の恐怖なのでしょう。
理由3:「夢の中に居続けたい」
魘夢によって夢の中へ落とされた炭治郎達。
人の夢は過去の体験、記憶に基づいたイメージがほとんどです。
それぞれの夢の中は構成は違えど、幸せそうな夢でした。
禰豆子の協力もあり眠り続ける危機は免れましたが、襲ってきた子に『俺も夢の中にいたかった』と吐露する炭治郎。
しかしその「居続けたい夢の中」というのは自分が幸せだった頃の断片的な記憶にしかすぎません。
つまり自分だけが幸せな空間に身を寄せているのと同義です。
そして魘夢は幸せな夢を見続けられるのは幸せだという価値観の持ち主。
とても自分本位な思想に偏っているなと感じました。
上記3つの理由から、「過去の記憶」や、「己の幸福を最優先する行動」に執着することがまさに鬼になることと言えるのではないかと考えたのです。
しかし、これらの執着は少なくとも人間なら誰しも持っていると思います。
ある意味、鬼とは人間の「オモテとウラ」の「ウラ」に宿る精神そのものではないでしょうか。
そうだとすれば私は間違いなく鬼側が出てしまうことが多いな……。
煉獄杏寿郎から漂う「前後際断」
仏教の教えに「前後際断」という言葉があります。
過去や未来にとらわれることなく現在(いま)を生きることに集中せよ、という意味です。
猗窩座との戦闘で苦戦を強いられた煉獄さんですが、「鬼になれ」と何度言われても、人間の寿命の儚さを美しいと評し、人間である意志をまったくブレることなく貫きました。
残念ながら敗北してしまうのですが、その直前のボロボロの状態でも自分の力の限界を出し切ろうとします。
『俺は俺の責務を全うする』
そう心に決めた彼は、自分の命を賭してでも、この場を守り抜くと誓ったのです。
まさに現在に全集中なわけです。
「鬼滅の刃」を知らなかった私でも煉獄杏寿郎を好きになっていました。
残念だった点
・技や、行動意図、感情の解説が何度も繰り広げられる
→素晴らしいアニメーションがあるのだから過多な説明は少し興ざめする
・ 猗窩座が逃げて終わるのであまりスッキリはしない
→原作ありきだから仕方ない
・「すべからく」の言葉の使い方が違うのでモヤッとする
→最近世代の誤用の意味で使われていたから台詞の説得力が減ってしまった
最後に
結論として知らなくても充分楽しめます。おすすめです。
エンディングテーマの「炎」にも未来という単語が出てきてるので重要なキーワードなんですかね。
私が炭治郎と出会ったら、匂いで「鬼」判定されると勝手に思っています。
#4 クジラの子らは砂上に歌う(感想&紹介)
おはようございます。今回は2年前に読んだとある漫画の感想と紹介です。
少し風変わりな世界観に惹き込まれます。
※ネタバレはありません。
クジラの子らは砂上に歌う
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会
Netflixでアニメを見返して久しぶりに読みたくなりました。
簡単な紹介
泥クジラと呼ばれる砂上に浮かぶ船があった。
主人公のチャクロたちはこの泥クジラという船のような島で生活しています。
島では子供から大人までが500人程度。
ここで生活する民は、感情を源とする超能力「情念動(サイミア)」を持つ印(シルシ)と、能力を持たない無印(ムイン)がいます。
また、印は能力はあるが短命で無印は能力こそないが長生きという特徴があります。
泥クジラでは民の能力や、寿命を考慮した仕事の分配がなされています。
主人公チャクロは印ですがサイミアを上手く扱えていないので、泥クジラで記録係に任命されています。人の死やこの砂上で起こったあらゆることを記録する仕事です。
物語はそんなチャクロの記録を語りとして進行します。
砂上では半年に一回くらい流れ島がやってきます。民にとって食料や資源を確保する機会になります。
ある日、いつもとは一風違う流れ島がやってくるところから物語は動き出します。
感想
とにかく設定が面白いです。泥クジラでは感情に関しての独特なルールがあったり、砂上ゆえの文化があったりします。
それでもどこか私達と同じような観念が渦巻いてもいます。
特におすすめしたいポイントを紹介していきます。
泥クジラの正体
この島では、無印の最年長集団である長老会のみが泥クジラの正体を知っています。
島の中には、この泥クジラだけの狭い生活に対して疑問を持ち、長老会に反発するものも少なくはありません。
彼らは泥クジラの外に、自分たちの見たことのない世界が広がっているはずだと信じています。物語が進んでいく中で様々な事実が発覚し、幾度も島全体が動揺につつまれます。
王道な展開ですが、世界が砂上で構成されているため個人的には新鮮に感じます。
葬儀で泣いてはいけない
亡くなった人は砂に流し見送るしきたりがあります。
その葬儀中に泣いてしまうと、砂に眠るたくさんの魂に呼ばれて自身の寿命が減ると信じられているようです。
また印が短命なこともあって、寿命で亡くなることが珍しくないため、そのたびに悲しんでいたら身がもたないという理由もありそうです。
それでも感情が抑えきれなくなったときは、両手を握って爪を立てて我慢するのです。
なんとも素朴な行為ですね。
情念動(サイミア)
この青く光っている印のようなものがサイミアです。
感情で発動すること以外は私達の想像する超能力にかなり近いですね。
物体を自由自在にコントロールできます。
用途によっては人を助ける力にもなるし、破壊者にもなれるところがミソですね。
最後に
世界観は異色ですが、ひとくせある感情描写が豊かなのでなぜか登場人物に共感できてしまう魅力があります。
漫画はまだ続いていますね。アニメの二期も密かに期待しているのですが......。
私は現在11巻から17巻まで電子版で読み途中です。
小言
アニメ版のチャクロの声優さんは今鬼滅で大人気の花江夏樹さんですね。
この漫画の着想は作者の梅田阿比さんによると、古い路地にある怪しいお店で手に入れた外国人の日記から得ているらしいです。
画像出典:
①、②、③/アニメ 『クジラの子らは砂上に歌う』 第一話より
#2 劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデン(感想)
おはようございます。
今日は私の最も惹かれるアニメ作品の一つについて書いていきたいと思います。
※1:ヴァイオレット・エヴァーガーデン本編についてのネタバレも含んでいます。
※2:感想は映画に関するネタバレが多めです。
※10/23追記_冒頭10分シーンの分析記事の追加
upuihicunu-ukgup.hatenadiary.com
劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン
©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
公式ホームページ
映画まで(本編)のあらすじ
架空の地、テルシス大陸にてこの物語は語られる。
大陸の南側では自然資源が豊かであり、北側は資源こそ少ないが技術力があった。
そして南北は貿易を交わすことによりお互い持ちつ持たれつの関係を維持していた。
しかし、南側も北側に負けない技術力を持つようになるとこの関係は崩壊していく。
南側の対等とは呼べない貿易交渉に徐々に不満を募らせた北側の大陸各国は手を組み、南側の大陸へ戦争を仕掛ける。これが4年にも及ぶ南北大陸戦争の始まりであった。
南側の各国を率いるライデンシャフトリヒにて軍人家系の名家「ブーゲンビリア」の長男であるディートフリートは、戦時中にある少女と出会う。
言葉が通じずコミュニケーションがとれない彼女は、その見た目からは考えられぬような業で彼の仲間を全員殺害してしまう。
しかし彼はそこに武器としての価値を見出し、自身を守る道具として弟のギルベルトに押し付ける。
道具として扱われる名もない少女を不憫に思ったギルベルトは、文字や言葉を教え彼女に「ヴァイオレット」という名前を与える。
ギルベルトは4年間、不本意ながらもヴァイオレットと共に戦争に参加し素晴らしい戦果をあげる。
だが、戦争終結の決め手となった「インテンスの戦い」にてヴァイオレットは両腕を失う重症となり、ギルベルトは消息不明の殉職扱いとなってしまう。
またその戦いの最中に致命的な攻撃を受け、瀕死であったギルベルトはヴァイオレットに『心から愛している。』と伝える。
しかし彼女にはその言葉の意味が理解できなかった……。
病院で目を覚ましたヴァイオレットは戦争が終結し南側の勝利だったことを知らされる。
しかしその代償として彼女の両腕は、アダマン銀で出来た義手となってしまう。
自身よりもギルベルトの安否を気にする彼女に、軍でギルベルトの友人であったクラウディア・ホッジンズは安否に関して本当のことは伝えず、ギルベルトの遺言に従いエヴァーガーデン家の養子となるように説得する。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」となった彼女は、ホッジンズの経営するCH郵便社にて、人の気持ちを手紙として代筆する「ドール」という仕事と出会い、ギルベルトの遺した「愛してる。」を理解するために苦難していくのであった。
幾多の手紙で人を結び自身も大きく成長していったヴァイオレットだったが、いまでもいなくなってしまったギルベルトのことが頭から離れずどこか暗い影を落としていた......。
感想
まずなんと言っても、作画が美麗ですね。どのカットをとっても細かく描かれている。
特に今回際立っていたのは水の表現でしたね。水面が出る場面が多かったように思いました。
そして脚本面でも既存のヴァイオレット・エヴァーガーデンを包み彩る台詞や展開が多くなされていたと思います。
ヴァイオレット自室での回想でギルベルトの「愛してる。」の響きとともに、ヴァイオレットのタイピングが止まるシーンがありましたね。そこからまた文字を打ち始めるまで10秒(程度)の無音の間がある。これが一つ前のにぎやかな祭りのシーンと対比されてヴァイオレットの埋められない空虚さを伝えていましたね。
無音のシーンに関しては、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝でもありました。
また他作品では「リズと青い鳥」は全体的に静かな場面が多かったですね。
画と静けさだけで空間を支配することができるのは京都アニメーションの強みのようにも感じます。
アニメ、原作ファンとしては、開始すぐアンの家が映る時点で察してしまい涙腺が緩みましたね。
くわえてアンが亡くなった描写で本編より少し未来であったことを理解した時に、きちんと人生を全うしたんだなと思って目頭がさらに熱くなり、涙が出てました。
ユリスのシーンは一番印象的でしたね。
まず前提として本編では完成していなかった電波塔と電話の普及(上流階級のみ)があるのですが、その電話がストーリーでドールの敵として描かれつつ、一番大事なところをカバーするという仕事ぶり。なんだこのたまらない脚本。
この劇場版でヴァイオレットはギルベルトと再会しドールをやめてしまいます。
これは原作とは結構違う展開で賛否あると思いますが、個人的にはむしろアニメとして見せるには良かったと考えています。
小説と違い時間の制約があるからこそ、よりドラマティックに、なお簡潔に魅せる必要がありますからね。
本編でヴァイオレットは手紙を代筆し人々の気持ちを結んできたわけですが、劇場版の中ではその余韻を序盤のシーンで多く味わえましたね。
これは本編9話でホッジンズが言う『してきたことは消せない。でも、君が自動手記人形としてやってきたことも消えないんだよ。』という台詞に集約されていると感じています。
同じくホッジンズの台詞で長い戦争が終わったが、皆自分のしてきたことで燃えている、というニュアンスのことも言っていましたから、対比するととてもホッジンズらしい優しさが出ていますね。
そしてなんと言っても劇場版で株を上げたのはディートフリート海軍大佐ですよね。
とても親しみのあるキャラクターに成り下がりました。
(こういう言い方しかできないところが問題なんだ。)
ヴァイオレットを拾い道具として扱った張本人ですが、ギルベルトの唯一の兄でもあり、彼も彼なりにギルベルトのことを思っていたことがよく分かりました。
戦争と軍が絡まなければ、とても美しくスタイルの良い色男ですし、ヴァイオレットが船でよろけたときのフォローシーンなんて思い切り格好良かったです。
ギルベルト帰ってこないんだったら兄でもありなんじゃないの
兄とは対にギルベルトも非常に人間味が溢れていて、違う形で親しみが持てましたね。本編でギルベルトはヴァイオレットを温かく見守ってきた保護者であり、割と力強く描かれていることが多かった分、今回大泣きしたことは彼の燃えていた感情とアイデンティティの解放でもあったのではないでしょうか。
それでも最後にはヴァイオレットを抱き寄せるギルベルトの男らしさは一級品ですね。
最後に
本編と劇場版通して、「今、誰かへ気持ちを伝えることの大切さ」のメインテーマを描くのに手紙という非同期性媒体が用いられていました。それが時代の流れや人間関係といった要素の変化がもたらす登場人物への作用として、ストーリーの中でうまく活きていたなという印象です。
他にもたくさん書きたいことがありますが長くなってしまうので今回はここで止めます。
小言
ギルベルト役の浪川さんの声を聞くと、喧嘩番長2やテイルズを思い出してしまうんですよね。どちらもいい役だったのでなおさら。
物語の最後でデイジーが手紙を書いている場面があるのだけど、その時の字がめちゃくちゃ綺麗なんですよね。デイジーのキャラの造形は結構好みです。
画像出典:
①、④/You Tube_KyoaniChannel『劇場ヴァイオレット・エヴァーガーデン』大ヒット感謝PVより
②/ヴァイオレット・エヴァーガーデン10話より
③/You Tube KyoaniChannnel 『劇場ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告第2段より